デザイナーの歴史
実際にデザインという言葉が使用されて、デザイナーという職業が認知されたのは19世紀から20世紀に入ってからだと言われています。しかし、それ以前にももちろん洋服をつくる人は存在し、多くの素晴らしいモードの歴史をつくってきました。まず、その歴史をご紹介していきましょう。
デザイナーという職業が認知されていなかった時代
洋服の歴史は古代文明から始まります。特に現代の洋服に影響を与えている中世ヨーロッパで着られていた洋服の原点は、ローマ時代にあったと言われています。映画などでよく見られるように、一枚布を身体にまとう「ヒマティオン」などが好まれていたようです。
やがて、ヨーロッパ全土に王政が敷かれると、時代とともに多彩な服飾が登場します。中世では広く大きな袖とタイトな胴の「ロマネスク」、デコルテが印象的な「ゴシック」などが有名です。近代になると、権威的な「バロック」、女性がコルセットを使用する「ロココ」などが流行します。
これらの服装は、女性のいわゆる「お針子」という職業の女性たちが貴族の要望によって製作するスタイルをとっていたと言います。もちろん、貴族たちは服づくりに関しての知識はありませんので、要望を反映して服の形にするのは非常に難しいことだったでしょう。この時代にデザイナーという概念がありませんでしたが、顧客の要望を聞いて服を仕上げていくという行為は、現代のデザイナーと同様の行為だったと思います。しかし、一方では、時代的な背景から権威を象徴する様式があるため、決して機能的だとは言えなかったようです。
パリで始まったデザイナーの歴史
「お針子」からのデザイナーへの脱却は、文明の進歩とともに徐々に進行していったものと考えられます。そして、それが決定的になったのが、19世紀後半の産業革命以降です。産業革命は技術革新をもたらし、社会構造も変化させました。
パリでは、オートクチュールを扱う業者が多く現れ、歴史的に女性が担ってきた服づくりを男性もおこなうようになります。その先駆的な人物がシャルル・フレデリック・ウォルト(1825-95年)でしょう。彼はそれまでの「クリノリン(スカートの骨組み)」を排して、ストレートシルエットなどを考案、女性に着心地の良さと活動のしやすさという機能性を与えたのです。
また、顧客宅へ出向いて採寸などをする従来の方法を改め、自分のアトリエに顧客を迎えるという近代的な方法も取り入れています。この改革こそが、彼のパリにあるアトリエにおいて、近代的なデザイナーの歴史が始まったことを意味するのではないでしょうか。
20世紀から21世紀のデザイナー
20世紀に入ると、産業革命による社会の発展は加速度的に急進していきます。服飾業界においても、紡績技術進化や化学繊維の登場によって、大きな変化を迎えて数多の名デザイナーが生まれています。
20世紀初頭には、女性たちをコルセットから開放して、機能性に優れたデザインを多く発表したココ・シャネル。そのほかにもピエール・バルマン、イブサンローラン、ジャンポール・ゴルチエなど、ファッション史に影響を与えたデザイナーは枚挙に暇がありません。
デザイナーという職業は、「服をつくる」というカテゴリーで考えれば、前述の「お針子」のように相当古くから存在していると言えます。ただ、機能性を考慮しデザインとの両立を常に達成するデザイナーは、近代に誕生したと言って良いでしょう。
アートかデザインか
よく素晴らしいデザインを「アートのようだ」と表現することがあります。そこで、少しアートとデザインの違いを考えてみましょう。広辞苑で、アート(芸術)を引くと「一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある」とあります。一方で、デザインの項では「意匠計画。製品の材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画」となっています。
広辞苑の定義では、アートは「観賞的価値」であり、見る・聞くなどをつくり出すこと。デザインは「技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画 」であり、機能や技術・生産・消費面も考慮したものです。つまり、本当に大まかに分類してしまえば、生活に使用する「製品」をつくるのがデザインで、鑑賞する「作品」をつくるのがアートと言えるのではないでしょうか。
ここで重要なことは、「機能性」ということです。洋服、特に仕事のときに着るビジネスウェアなどは機能性が求められます。アーティストはひたすらに「芸術性」を追求すればよいのに対して、デザイナーは「美しくみえるもの」だけをつくるのではなく、TPOに合わせた機能性も考慮し、デザイン性と機能を両立させた「機能美」を創出するのです。
日本でのデザイナーの歴史
日本で洋服が着られるようになったのは、明治以降のことです。しかし、実際には明治中期頃までは地域にもよりますが、着物が中心の生活をしていたようです。本格的に庶民も洋服を着るようになるのは、大正から昭和にかけての時代です。
日本での洋服の始まり
江戸時代の末期には、洋服は日本に入ってきていて、明治以降には警察官や軍隊など公的職業の制服に洋服が採用されています。しかし、まだ洋服は値段が高価で庶民に普及するには程遠い状況でした。
実際に多くの人が洋服を着るようになったのは、第一次世界大戦後の大正時代から。モボやモガなど洋服の良さが浸透して、西洋の文化が多く流入してきた時期です。また、大正12年の関東大震災も、避難などにおける洋服の機能性が認識された要因と言われています。
昭和に入ると、洋裁学校なども多く設立され、「デザイナー」という概念も認知され始めました。しかし、軍国主義から第二次世界大戦へと進む暗い歴史のなかでは、それも立ち消えてしまいます。
世界に羽ばたくデザイナーを輩出
第二次世界大戦の後に、日本のファッション業界は息を吹き返します。占領下にあった日本にアメリカのファッションが流れ込んできたのです。そして、占領も終わり暮らしも豊かになる高度成長期を迎えると、日本人はファッションに大きな関心を寄せるようになります。世界の一流デザイナーを招聘したりパリに留学するファッション関係者も多く見られるようになります。
そのなかで、日本人の世界的なデザイナーも現れてきます。三宅一生、高田賢三、川久保玲などは以前から有名ですが、2000年代でも、高橋盾、森永邦彦などがパリコレに参加しています。
日本のデザイナーがオフィスウェアを変える
今回はデザイナーという職業について、その歴史などをご紹介してきました。デザイナーという概念は、19世紀後半から20世紀にかけて形成されていったものです。
デザイナーとは、昔のように権威の象徴としての洋服づくりではなく、また、美しさのみを追求するアート作品でもない、機能性とデザイン性を両立させた洋服をつくる職業です。それはドレスにおいても、普段着においても、そしてオフィスウェアにおいても同じです。
現在、日本のオフィスウェアは機能性が重視され過ぎて、デザインが軽視されていないでしょうか。オフィスウェアは単なる「作業着」ではありません。着用することによって、仕事へのモチベーションを高めたりスタッフの一体感を感じる重要な役割があります。また、外部への企業アピールという面も少なくありません。
だからこそ、デザイナーがその真価を発揮して、既存の考え方にとらわれずに、デザインも機能性も両立したオフィスウェアを開発していくべきなのです。オフィスウェアを楽しんで着られること、それは効率的な仕事にもつながります。