慶応大学哲学科出身という異例の経歴
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コム・デ・ギャルソンを創立した川久保玲は、1942年の東京生まれです。同ブランドは、1980年代には山本耀司とともに、「モノトーンブーム」をつくりだし、DCブランドブームの火付け役ともなった日本でも有数の世界的なブランドです。現在でも多くの人々を魅了するブランドは、どのようなコンセプトで運営されているのでしょうか。デザイナー川久保玲の経歴から探っていきましょう。
母親が体現した自立した女性の姿
川久保玲が幼少期を過ごした時代、日本はまだまだ女性の地位が確立していたとは言い難い状況でした。彼女はそれを家庭内で実感します。川久保の母親は教師をしていて、弟たちの子育て後は復職をすることを希望していました。
しかし、父親はそれを望まなかったと言います。もちろん、さまざまな状況があったと思いますが、「女性は子供ができたら家庭に入る」という当時の日本社会を反映していたのかもしれません。その後、結局両親の意見は噛み合わずに、離婚を選択した母親は教師への道に戻りました。
川久保は、この出来事から、女性の社会的な地位や自立した女性の姿などを考え始めたと言われていて、コム・デ・ギャルソンのコンセプトにも大きな影響を与えたようです。
自分のイメージを追い求めてデザイナーへ
川久保はファッションデザイナーとして世界的に成功しましたが、少し変わった経歴を持ちます。高校から進学した先は、慶応大学文学部哲学科。ファッションやデザインとは少し離れた分野です。ただ、卒業後の就職先企業が、彼女の運命を大きく変えていきます。
その企業は繊維素材なども扱う旭化成です。川久保は繊維宣伝部に配属され、そこでスタイリストとして働くことになります。3年間の経験を積んだ後に、フリーのスタイリストになるのですが、その頃から広告などに使用する衣装が見つからないときには彼女自身が自作をするようになります。自分がこだわるイメージを追求して、デザインからパターンおこし、縫製までも自分で勉強をして服づくりをおこなうようになっていくのです。
自立した女性を表現した服つくりでパリコレへ
数年間、フリーのスタイリストとして活躍した川久保は、本格的な服づくりをおこなうため、1973年にコム・デ・ギャルソンを設立します。1975年には東京コレクションに参加して好評を得ると、青山に直営店をオープン。既成の女性観にとらわれず、独立した女性像を体現したスタイルは次第に人気が上昇していきます。
コム・デ・ギャルソンという意味はフランス語で、直訳すれば「少年のような」という意味で、ブランドのコンセプトでは「少年の持つ冒険心」ということになります。まさに、「女性はこういうものだ」という既成概念にとらわれない彼女のコンセプトを表している名称と言えるでしょう。
そして、1981年には、山本燿司とともにパリコレに初参加をします。このときの黒をベースにしたコレクションは、ファッション史のなかでも「黒の衝撃」として記憶されるほど、世界を驚かせました。当時はあまり使用されなかった「黒」という色を使用したことにより、「斬新」という高評価があった一方で、「ファッションへの冒涜」などの批判も少なくなかったと言います。
しかし、本当の評価はマーケットの反応でわかります。批判をよそにマーケットはコム・デ・ギャルソンを受け入れ、パリにショップもオープンし、世界的なブランドへと成長していくのです。
国内においては、1980年代のバブル景気に後押しされて、DCブランドブームがはじまります。コム・デ・ギャルソンは、その中心的な存在となり、黒一色の洋服にボブヘアといった、当時の定番スタイルを生み出しました。そして、少し世代が上の三宅一生、同世代である山本耀司とともに国内外に、メイドインジャパンのモードを知らしめたのです。
同時代を生きるもうひとりの日本人デザイナー、山本耀司
川久保玲と同世代で、同じ年にパリコレデビューをした山本耀司。実はこの2人の世界的なデザイナーは、学生時代から交流がありました。川久保は慶応大学文学部、そして山本は同大学の法学部に在籍。その頃にはお互いファッションデザイナーとしてパリコレに参加するとは思ってもいなかったのではないでしょうか。
慶応大学を卒業後に山本は文化服装学院で学びますが、川久保は独学で仕事を通して服づくりを学びます。これは、アプローチは違っていても、目標をしっかりと持って努力をすれば、必ずや自分の思う場所に帰着できるという証左とも言えると思います。
デザイナーとして、経営者としての川久保玲
川久保玲 出典:blog.gxomens.com/history-of-comme-des-garcons/
川久保玲は、インタビューや取材などに応じないことで有名です。そのため、私生活や考え方など、謎に包まれている部分が多くあります。ただ、わかっていることは、デザイナーとしての優秀さ、そしてもう一点、ハイブランドには珍しく、経営的にも自身が関与をして成功をおさめていることです。
独自路線を貫く謎多き女性デザイナー
コム・デ・ギャルソンの魅力は、コンセプトの一貫性にあります。もちろん、変化はしていきますが、社会に流されることのない、独自性はブランド設立当初から現在に至るまで、根強いファンの支持を得ています。
その洋服に対する造形への考え方は、ほかのブランドにはないもので、「流行」という概念では捉えられないと言われています。シンプルでいて、複雑、大胆であり、繊細。それを体現したコム・デ・ギャルソンの洋服は、唯一無二のものだと言う人が多くいるのです。
カリスマ的な人気を得て、独立経営を継続
川久保玲の洋服づくりは、その謎多き人物像と相まって、カリスマ的な人気を得ていると言っても良いでしょう。コム・デ・ギャルソンの良さを知ると、ほかのブランドを試してみても、結局は再度コム・デ・ギャルソンに戻ってくるという人も多いようです。
そのような顧客に対して、ブランド側も独自のマーケティングを展開していて、顧客向けのビジュアル誌を発行するなど、コミニュケーションを重要視しています。この顧客マーケティングと、川久保玲のカリスマ性などもあり、コム・デ・ギャルソンは現在16ものブランドを展開。通常であれば、大手資本の傘下となっても不思議ではない社会情勢の中、独立経営を継続しているのです。
コム・デ・ギャルソンのブランド
コム・デ・ギャルソンには、現在16ものブランドがあります。メンズライン、レディースラインなど、それぞれの特徴をご紹介します。
コムデギャルソン オム プリュス
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1984年にスタートしたメンズラインです。オム(Homme)とは、フランス語で男性のこと、そしてプリュス(PLUS)は最上という意味となります。
上質の素材を使用して、ナチュラルな上品さを演出するスタイル。コム・デ・ギャルソンのコンセプトをそのままに、メンズでありながら、ユニセックスな要素を取り入れる、既成概念を超えたブランドです。
コムデギャルソンコムデギャルソン
出典:https://cdg-freak.com/this-is-cdg/
1993年から展開するブランドです。ベーシックなスタイルを提案するスタイルで、イージーパンツなど、リラックスできるアイテムも揃っています。多くのの製品は国産となっています。
コラボレーションも広くおこなわれていて、近年ではイギリスの靴メーカーであるドクターマーチンとのコラボが話題を集めました。
コム・デ・ギャルソン
出典:https://cdg-freak.com/this-is-cdg/
ブランドの中核とも言えるブランドです。初めてのパリコレで話題となった「黒の衝撃」から、変わることなく独自性を堅持してきました。コンセプトは「反骨精神」「見たことないもの」。
世界的なブランドであり、海外での人気も高くなっています。また、ディズニーやナイキなどとのコラボレーションも話題になりました。大きな特徴としては、「縮絨(しゅくじゅう)」という生地を圧縮させる製法を取り入れて、独特の風合いを出しています。
コム・デ・ギャルソンは、縮絨などの素材感、シルエットなど繊細な表現が特徴ですから、クリーニングなどのお手入れにも注意が必要です。
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