逡巡した末に選んだ洋裁への道
出典:https://www.fashion-press.net/news/55558
パリコレクションで衝撃の世界デビューを果たす山本耀司。しかし、天才的なデザイナーの少年時代は、家業である洋裁を嫌っていました。進路の選択では、一度は違う道を選ぼうとするのですが、逡巡の末に洋裁の道へ。その選択が、類まれなる才能を世界に知らしめる結果となります。
「反骨精神」を培った幼少期から学生時代
山本耀司は、1943年東京都に生まれます。父親は戦争で亡くなり、洋裁店を営む母親が一人で燿司を育てていました。当然、幼い頃から傍らにいる母親が、洋裁仕事をしていますので、ミシンの音やアイロンの匂いなどを身近に感じていたと言います。
ただ、必死に働いている母親を見て、子供の頃の燿司はその「ミシンの音やアイロンの匂い」が嫌いだったと、後に語っています。
それは、後に彼のデザインの原点ともなる、世間に対しての「反骨精神」が反映されてのことであり、後に進路を選択するに当たっても、大きな影響を与えました。
彼はデザインの仕事でもなく、ファッションの仕事でもなく、弁護士を目指して慶応大学法学部に進学したのです。社会的にも安定して、収入も得られるであろう弁護士になり、母親を助けようとしたのでしょう。
しかし、大学では、同級生との境遇の違いなどをあらためて認識することとなり、社会への「反骨精神」は大きくなっていきます。その結果、燿司は自分を見つめ直し、幼い頃に嫌っていた洋裁の仕事をする決意をします。それは、洋裁を端から嫌っていた自分に対して、そして、不条理な社会に対しての「反骨精神」からだったのかもしれません。
燿司は母親の出身校でもある、文化服装学院へ入学、後に手記やインタビューでも多く語っているように、「社会に対しての反骨精神、アウトロー」をデザインの根底にして才能が開花、新人デザイナーに送られる「装苑賞」などを受賞します。
パリコレで打ち出された「黒の衝撃」
文化服装学院卒業後は、1年ほどパリで過ごした燿司は、帰国後1972年に自身のブランドである「ワイズ」を設立します。ワイズのデザインは、「女性の着る服はこうだ」という今までの既成概念を打破するものでした。それまでのタイトなシルエットを排して、ゆったりとしたフォルムを採用。また、メンズファッションの要素を取り入れて、ジェンダーレスの先駆けともなりました。
ブランド設立から5年後には「東京コレクション」に参加、そして、10年目となる1981年には世界最高峰のコレクションである「パリコレクション」に参加するのです。日本のブランドでパリコレに参加できるのは、本当にごく僅かであり、それだけでも名誉なことですが、ワイズはそれだけにとどまらず、この年のパリコレに大きな足跡を残します。
それはアシンメトリーなフォルムや大きな穴の空いたデザイン、そして何よりも当時はほとんど洋服に使用されていなかった「黒」を基調にしたコレクションだったからです。このモードには世界中が驚き、賛否両論が交わされます。そして、このコレクションはファッション史に「黒の衝撃」として刻まれたのです。
日本では「モノトーンブーム」の火付け役だったが……
世界で注目されたワイズは、同じ年にパリコレに参加していた川久保玲が創立した「コム・デ・ギャルソン」とともに、日本では黒一色でコーディネートする「モノトーンブーム」を引き起こします。
80年代の日本は、「バブル」に突入し、好景気を謳歌していた時代です。ファッション界もDC(デザイナーズ&キャラクター)ブランド最盛期でした。山本耀司も「株式会社ヨウジヤマモト」を設立して、ワイズを始めとした数多くのブランドを立ち上げていきます。
しかし、バブルは崩壊、モードの変遷もあり、世界的なブランドであった「株式会社ヨウジヤマモト」も経営難に陥り、2009年には民事再生法の適用を申請して、再建への道をたどります。経営的には苦しみましたが、デザイナーは変わらずに山本耀司が担当。パリコレにも参加し続けます。また、2014年にはサッカーの名門チーム「レアルマドリード」のサードユニフォームのデザインを担当、2015年には全仏オープンテニスのコレクションを発表するなど、世界的なブランドとしての地位を確固たるものにしています。
デザイナー山本耀司のコンセプト
山本燿司 出典:http://mensfashion-brand.com/yohji-yamamoto
山本耀司が関わるブランドは、多くの人々に愛されています。それは、「ワイズ」の設立からパリコレデビュー、そして現在に至るまで変わらずにデザインの根底に流れる「反骨精神」にあると言えます。彼自身は「流行の大通りではなく脇道を歩こうと決めた。社会の流れに対する疑問や反対意見を叫び、吐き出すことが僕の作りなんです。」と語っています。
パリコレでのワイズ
「黒の衝撃」のフォルムは、アシンメトリーなカッティングやゆったりとしたシルエットと、ボディコンシャス全盛の時代への、まさに「反骨精神」溢れるものでした。その傾向は多くのデザイナーに影響を与えつつ、時代によってビビットカラーを加えたり、最近ではペインティングを施したりするなど、変化をしています。
「反骨精神」を掲げながら、独自のラインを維持していくブランドコンセプトは、現在でも多くの人々が注目しています。
さまざまなブランドとのコラボレーション
ヨウジヤマモトは、さまざまなブランドとコラボレーション作品を発表しています。有名なものでは、シューズメーカーのアディダスやドクターマーチンがあります。
アディダスでは、往年の名作をヨウジヤマモトプロデュースで再現したり、ドクターマーチンでは、ロックなイメージとモードを融合させたデザインを発表しています。
その他にも、ニューエラのキャップやポーターのバッグ、ウブロの時計など、多彩なコラボレーションがありますので、コレクションをしてみるのも楽しいかもしれません。
愛用する有名人も多数
ヨウジヤマモトは、多くの有名人が愛用しています。一番知られているのは、北野武でしょう。映画監督としても知られる彼の多くの作品では、ヨウジヤマモトの衣装が使用されています。その縁もあり、北野自身もヨウジヤマモトの服を愛用しているのです。
また、綾野剛や斎藤工、菅田将暉、香取慎吾など、テレビなどでよく見かける芸能人も、ヨウジヤマモトの洋服を愛用していると言われています。
ヨウジヤマモトのブランド
現在、山本燿司が関わる「株式会社ヨウジヤマモト」では、10以上のブランドを展開しています。それぞれに個性的なコンセプトで展開していますので、代表的なブランドを紹介していきましょう。
ブランドの中核「ヨウジヤマモト」
出典:https://www.fashion-press.net/brands/42
すべてのブランドの中核となるメインブランドが「ヨウジヤマモト」です。パリコレに参加をした1981年に創設されました。デザイナー山本燿司のコンセプトを最大限表現しているブランドと言えるでしょう。反骨精神を根底に持ち「アンチテーゼによってモードを制覇する」ことを哲学としていて、常に新しい服づくりを目指しています。
ジェンダーレス、エイジレスな「グランドY」
出典:https://www.laforet.ne.jp/shop_search/shop297
ジェンダーレス。エイジレスなファッションを提案するブランドです。あらゆる年代へと訴求するために、従来直営店でのみおこなっていた販売を、ファッションビルへの出店に切り替えるなどの展開をおこなって好評を博しています。
モデルにはオダギリジョー、秋元梢などを採用するなど、いままでのヨウジヤマモト内のブランドには珍しいマーケティングをおこなっていることも大きな特徴と言えるでしょう。
すべてのブランドの原点「ワイズ」
出典:https://www.fashion-headline.com/article/4734
デザイナー山本燿司が最初につくったブランドです。機能性と品位を兼ね備えた、日常に着られる洋服、それがワイズです。当初からの特徴であるユニークなパターンとカッティングは、現在でも人気が高いです。素材の風合いや機能性、そして品質、非常にバランスの取れたブランドです。また、誤解している方もいますが、ワイズはレディースラインのみとなります。
ワイズだけではなくヨウジヤマモトのブランドは、素材を重視しています。それだけに、メンテナンスのときには素材を傷めないように気をつけてください。
ブランド品のクリーニングやメンテナンスは経験豊富な業者へ
ヨウジヤマモトなど、ハイブランドのクリーニングは経験豊富な業者が安心です。クレアンなら、世界中の1000件以上のブランドをクリーニングしていますので、確かな技術でそれぞれの素材に合ったクリーニングをおこないます。
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